痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

壊されていく古い豪邸達と昭和。

最近、古くても上品‥あるいは趣のある家が次々に壊されていく。
家主が引越しもしくは死亡。
大抵、そういうお宅は、かつて都内の大企業に勤めて、かなりの地位まで
上り詰めたような元企業戦士の建てた注文住宅が多い。
庭もいい感じに作られ、庭木も年月を重ねて樹形も素晴らしい感じになっているが・・
悲しいかな時は流れていくんだねぇ。
そこには老夫婦だけが住まっていて、どちらか一方が病に倒れたり、亡くなったり、
残された方も高齢で一人暮らしは無理とばかりに施設へ・・と、
いうパターンをよく耳にする。
お子さんのいらっしゃらない方も居るけど、お子さん達が居ても、もうその古い家に
移り住む気は無いという事なんだろう。

すると、その空き家になった家は、建て売り建築の会社などに売り払われる。
そうなるともう・・家も庭も庭木もあっという間に取り壊されて更地となる。
木々に囲まれた敷地にゆったりと建っていた赴きもある一軒家跡地には、
敷地目一杯に庭の無い小奇麗な今風の戸建が三棟、四棟と、みっちりと建つ。
そして、その住宅地に馴染んでいく・・という感じ。

昭和の時代を色濃く残す・・そういうお宅も・・どんどん無くなっていく。
と、同時に、昭和の時代にテレビで活躍していたような俳優やタレントが
(大抵八十代前後から上)次々に鬼籍へと入っていく。

かなり以前に黒柳徹子が『絶対に百までは生きるわ』と言ったところ、
故・小沢昭一が『そんなに長生きしたら、寂しいぞ、知り合いは誰も生きてないよ』
と、言ったそうだ。
当時は、その言葉の深い意味がわからなくて、『そんな事無いわよ』と思ったそうだが、
昨今、次々と友人知人達があの世へと去っていくことに『寂しいぞ』という言葉が
ヒシヒシと感じられると言っていたが、昨日もまた黒柳が八十代の俳優の死に
コメントしていたねぇ。

そういえば、丁度一年前、99で亡くなった義祖母。
やはりアタマのはっきりしていた九十くらいまでは『百まで生きると豪語していた』
しかし、その三年後に父が亡くなった後、急激に自分の事が出来なくなり、
認知症から妄想や幻覚に怯え徘徊、八十の母には自宅介護も難しく、
義祖母は親族が経営に関わっていた施設へと入った。
亡くなる少し前、会話もトンチンカンで何を言っているのがゴチャゴチャだったけど、
時折霧が晴れたように正常になる時があり、義祖母はポツリと言った。
『長生きするのがいいと思ったけど、長生きはちっとも良くなかった』
『適当が一番いい』
介護されている方は顔をしかめるだろうけど、ソレはそれで、一つの名言なのかも。
義祖母が『長生きはちっとも良くなかった』と言った、その言葉の本質を
知りたい気がする。
毒舌の義祖母だから、ちっとも良くなかった事を的確に言い放っただろうけど・・。

ともかく、次々と・・昭和のニオイのする方々がこの世を去っていく。
ソレは人間もそうだけど、昨今感じるのは・・古い建物とかにも重なる。

ソレ等もまた、容赦なく・・この世を去ってく気がする。