痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

『自然淘汰』と『てんでんこ』

自然界では・・自然淘汰という言葉が動植物の死に対して
何の躊躇も無く使われる。

しかし・・人間は…。
テレビで津波の検証のような番組を見た。
先般の東日本大震災のような極限状態という事態が起きた時を考えてしまう。
年を経て、足腰が萎え・・一人では歩けない、
もしくは寝たきりとなって何一つ自分では出来ない。
そういう境遇の方々が住む海辺で・・
地震が起こり、大津波が襲うと予見された時・・
安全な高台に逃げ出せない足腰の弱った老人達を助けに行く者がどれだけいるだろう。
多分、助けに行けば・・もろとも流されて死ぬ・・
そんな状況が露呈したような番組だった。

その地域で、高齢者の高台への避難を実施し訓練を重ねたが、
一人の高齢者を台車で運んでも最低でも二人は必要で、車椅子で運ぶ押し手も台車の運び手も若くは無い中高年。
訓練を重ねるほどに、短時間での高台への避難は難儀であり、坂の途中で運び手も
へばり出し、助けている側も高台への逃避は無理と強く感じた。
訓練することによって、大地震が起きた時・・老人達のもとへ駆けつけ、
台車や車椅子に乗せて坂を駆けあがって助けるという者は居ないのでは・・と。
助けに走る事が、訓練することで『無理で出来ない』という現実を露呈した
結果となったからだ。

結局、地域でそれぞれ何とか考えろ・・というのが国からの現状だが、
人間も自然の一部と考えるしかない。
自力で逃げ出せないのであれば、もう仕方ないこと。
自然淘汰という言葉に任せるしかない。
動けない者を助けに向かい、先の人生の長い者が老い先短い者もろとも
命を落とす事は無い・・と、私もあえてシビアな考え。

極限状態では、自然淘汰という言葉を使うしかない。
自分で逃げ出せなければ・・もう諦めるしかない。

自らで逃げ出せるか、逃げられないか・・
津波の場合に関して・・そこに、自然淘汰される線引きがあると思う。

よく耳にする『津波てんでんこ』『命てんでんこ』は
津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばら
一人で高台へと逃げろという教え。
自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しないという事も
つけ加えて解釈し、納得する。

全てを助けたいという気持ちはわかるが、老齢化の進む地方では無理な話だ。人間もまた自然の一部と思うしかない。