痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

マスコミ推奨の『絆』他・・

東日本大震災から今日で一年。
亡くなられた方々に心から合掌致します。



正直、私は『絆』と言う言葉が当初のイメージから乖離した感じがする。
一年経って・・これほとに薄汚れ、薄ら寒く…薄っペラペラの
嫌悪の単語となったものはない。

次に、出たがり目立ちたがりのミュージシャンやらマスコミ関係の人たちの
したり顔で放つ『日本の力を信じてる』つー、ヤツも嫌だたったねー。

最近は『頑張れ日本』なんつーのも・・好きじゃない。

この未曾有の大震災時に日本が超運が悪いと言うか、天中殺だったのは・・
国民の皆が、その底の浅さに気づかず、耳に心地よいだけのマニフェスト
思い切り踊らされ、騙された結果、民主党が政権を取った事だろう。

ど素人に近いような政治家達に、この大震災への対処はマジで出来ないと
この一年を通じて、いつも感じていること。
『被災地の復興』と言うのはどういう事なのか、どんな形なのか・・
本当に、政治家達に描けているのかも疑問だ。
また、国民にも一年経った今・・温度差が生じていると思う。

やはり当事者とその周辺の人々や・・もっとずっと離れた地に住む人たち
では、いくら未曾有の大震災とはいっても共有することは出来ないと思う。
それを押し付けがましいマスコミの『絆』の大合唱で一体感を持たせようと
してくるから・・気持ち悪くなるほど、絆と言う言葉に嫌悪が走るのだ。

人それぞれで、『思い』はいいと思う。
被災者や被災地に心を寄せる人、
今は、いつもの日常を送る人。
…それでいい。
一年という節目に、失った命の鎮魂や大地震や大津波の教訓として、
思い出す・・それでいいと思うのね。
阪神大震災のときも・・確かに大変な被害だったが・・
そんなに長い間、関東の者は心を寄せていたわけではない。
あっという間にいつもの日常だった。
つまりこれと同じなんだと思う。
近くで起こらないと・・当事者にならないと・・
ずっと思っていられないのだと思う。

福島の原発事故も・・だ。
離れた場所の人たちには、何かもう終息しゃった感じの人や、
気にならない人も居ると思うけど。
こちらは、未だにドンドン放射能モレモレ・・
さらには高濃度の汚染水も出まくりで保管場所もなくなりつつある。
その上、近隣の県は、一年前の水蒸気爆発でまき散らかされた放射能
汚染した木々の落ち葉や剪定したもの、さらにホットスポットなどの除染した
モノの置き場、処分に苦しんでいる。

確かに、情報の共有は大切だと思うが、
全てをみんなで分かち合う、みんな一緒・・というのも・・何か今ひとつ・・
ピンと来なかったりする。
やはり、近いか遠いかで、違いがあっていいとおもう。
そうやって今までだって・・来ているんだから。

それを絆だ・・云々と、あざとく感動的に、感傷的に番組を構成し、
連帯感を持たせようとするマスコミに嫌悪する。

何より、それは住んでいる地域によっての国民の感覚だ。
だが、これを政府が同じで良いかといえば、まったく違う。
政府こそ、もっと現場に近くなり、マスコミの大好きな『絆』を大いに
深め発揮させるべきだろうに。
奴等にこれが出来てない。

政治家が、たった数時間、被災地に行ってボランティア。
さらにちょっと手伝った姿を写真に撮り自身のブログにアップして、
大満足。
一回きりのそれを・・さも自分は被災地を応援しているみたいなことに
なっていると・・新聞に載ってたけど、、やっぱりねー。


ともかく、大震災一年。

それぞれの想いで祈ればいい・・過ごせばいい。
そう思うよ。