不穏。
大いに声を張り上げ、変な音頭で『戦争反対』を囃し立てて・・。
なんか、ホント事細かく拡大解釈し過ぎているような気もする。
そりゃ、すべてを国民に明らかにしてからの採決だろうというのもわかるが、
たとえば、戦略やら軍事関係を、あーだ・こーだと事細かく国民に知らしめて、
アタシ達はさてどうする・・つ〜ことも有るんだよね。
何でそこまで知りたい?
主婦まで戦略家かよ?
有事の際、アンタたちに何が出来る?
自衛隊は武器使用もいちいちもお伺いを立てなくちゃ何も使えないんだよね。
お伺い立てているうちにあっという間に自衛隊は死んじゃうよ?
瞬時に全滅という恐ろしさだってある。
国民には知らせていない、中国との紛争地帯の危うさやら、さらに中国がどんどんと国際法も無視し続けて海上に基地局を何十も建てている現状を国民に知らせるべきでもあるのかもね。
中国軍のその手の怖い写真はたくさんある。
何のためにこんなに基地を作るのかと言えばる領土拡充、尖閣自分のモノといと既成事実を作る為。
そして太平洋は中国のモノ、俺が支配する的宣言の確立。
日本はこれまでが平和だったから、これからも同じように平和で居るために、このまま今まで通りでいいんだというエセ平和主義。
こういう人の平和という言葉がなんか薄っぺらく感じる。
しかし、ある学者は『平和とは優しいものではない』という。
平和を守るためには優しいだけじゃだめだというのが世界基準。
日本の常識は世界の非常識という言葉すらある。
安保反対論者は、何もしなければ平和で居続けられるという固定観念に支配されている気がする。
これまでの大戦からの七十年と、これからの未来は同じではない。
なぜなら、中国が昔の儘ではない、同じではないからだ。
のぼりを振って太鼓をたたき、『事細かく説明して納得させろ、それが民主主義だ』というが、
何だかもう、そんそこの浅い事ばかりをつついて日本の防衛を危うくしてしまっているのではないかとも危惧する。
たとえば、安保反対の人達の『平和』とは何だろうか。
あなた達の『平和』を乱すものに対して何もしないの?
変な言い回しになってしまうが、『平和』を守るために『平和』ではなくなる場合もある。
それに対してどうするの?と問いたい。
なんか自分たちさえ平和ならそれでいいんだという変な感じがして仕方ない。
しかし、有事の際には無事ですまない。
ドンスカ攻撃されまくっても、戦争反対で反撃できず
日本中攻められて中国領と化しても、それでいいのね、戦争反対なんだから。
アタシは断固嫌だけど。
そんな平和なんていらない。
真逆の拡大解釈してしまえば、こういう事なんじゃないかと思う。
なんか危うい。