痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

とりあえず手術・その3

少し前だが、、母のすい臓がん手術、無事に終了した。

六時間にわたる大手術、臓器の組み換え・・
術後はもうろうとしていたが、がんはすべて取り除けたという事で、
本人も安堵した感じだったが、、、
本当の地獄はその後にやって来た(らしい)

当然、痛み止めで手術の傷に関しての激痛は和らげてあるが、
今の医学では術後、いつまでも寝かせておかない。
積極的に起き上がらせ、椅子に座らせる。

リハビリという名目で、歩かされた・・と、
『この世の生き地獄だ』と母はヘロヘロ。
すぐにベットに横になる。

自分は体力に自信ある、自分では六十代くらいの体力はある・・
と、どこから来る自身なのか知らないが、
無論、老アスリートでもなく、若い頃だって運動なんてしてない。
案の定、術後、、手術は乗り越えたが、完全に年相応の老婆でしかなかった。
そして、『何でこんなことしちゃったんだろう、、』
『もっとよく考えてから(手術)すればよかった』
術後、あちこちから管が出て、点滴は、二本同時?鼻から酸素吸入、
一つの動作も難儀の痛みと苦しさ。

母は、術前、物凄いテンションだった。
早く手術したい、手術して悪いモノを取ってすっきりしたい。
ワクワクしているみたいなことも言っていた。
とにかく早く手術したいと何度も繰り返して言っていた。

しかし、現実には、術後のもろもろの大変さが母の頭の中ではすべて抜け落ちていた。
恐ろしいほど楽天的で、切ったらもうそれで終わり、、。
後は少し痛いだけ・・みたいな勝手な安易な想像しかなかった。
それは普通の外科手術だろう、虫垂炎とか、卵巣嚢腫とか・・。
二度ほど腹切ったアタシとしては、術後しばらくは大変だよと言っても、
聞く耳なし、聞いちゃいない、耳に入らない感じだった。
無論、医師からも高難度の外科手術で、その後も色々と越えなければならないことがたくさんあり、認知症になるかもしれない年齢でもあり、その点でも若い人の手術都違い色々なリスクがあるという説明もあったが、
手術してもらえるという事で頭一杯で、聞いてない。
この辺も、一つの事に集中してしまい回りが見えなくなることが多いので、認知症が少し始まってんじゃないかと危惧する。

そして、そんな安易な想像しかなかった母親は、手術後の自分の現実に、、
おののき、こんなはずじゃなかった、なんでこんなことをしてしまったのか・・
という状況になったが、もう後の祭りだピーヒャラララな状況。

後に親族からも、私たちは七十過ぎたら、もう無理な手術はしないで現実を受け入れていく・・と、陰で言われ、母がもっと生きたいから手術するという事を暗に否定されていた。

現在、大雑把な感覚ではあるけど、手術直後から見ればかなり回復してきたが、
まだまだ先は長い。

つ〜か、寒いから冬用のパジャマが欲しい(家から)持ってきてとか、、
大きなパンツ(LL〜3L)も欲しいから買って来て、、
という事を真に受けて、翌日車で実家に帰り持ってきてパンツも購入して、
その翌日病院へ持っていくと、もう暑くなってきたからも、いらない、
パンツもやっぱりいらないという事になり、一体何なんだこのヒト・・と飽きれた。
丁度その場に居た弟のお嫁さんも、冷めた目つきで母を見ていた。

空気も読めず、『アンタたちよく見ておきなさい、私は老醜をさらしているんだから・・反面教師なんだ』
シタリ顔で言ってる母親にウンザリ。
その言い方も嫌だわ。なにそれ。
アタシはもうしばらく面倒見たくなくなって来た。
ちなみにアタシだけでなく妹や弟のお嫁さんも居るから負担はそんなに重くないけど、
みんな母の事は、、好きじゃないのね・・ホントは。

毎日シャワーをするように言われているので、大量に洗濯物が出る。
信じられないが、術後は少しすれば自分でなんでもできるとおもっていたようで、
それもまた、、この婆さんの、現実を何も聞いていない、手術だけしか頭になかった。
その後の事は何も頭になかったし、想像もできなかったという事。
そもそも洗濯一つ今は出来ない。

あまり詳しく書きたくないが、母の姿を見れば、今月いっぱいは入院してるね。
しかし、その後、一人で暮らせるのかね。
すい臓をいじったことで重度の糖尿となり、糖尿病食を三度三度作り、
軽い運動をし、インスリン注射を自分で打ち、
服用は消化剤、ステロイド抗がん剤、、その他もろもろ・・

ふー、ムリじゃね。
医療系の付属している老人施設を探しておくのも一つの手段だね。