痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

五月六月、、ホント疲れたね。

母のすい臓がんの事。

幸いすい臓がんの初期という事で、
八十を超える高齢だが、まだ生きたいという本人の強い希望で、
五月上旬に手術を行い、月末に退院。
その後、というか・・高齢ゆえの傷の治癒力の低さから傷口がふさがらず、
炎症と膿の排出のため再入院。
先日なんとか再退院となり、すい臓がん手術は乗り越えた感じだ。

手術をするとかしないとかの段階で、医師からの説明を受ける時には、
母は(完全看護の病院だから)誰の世話にもならない、自分の選んだ事なんだから誰にも迷惑などかけないんだから、今回の手術には反対しないでくれと、アタシ達姉弟に念を押していた。

誰の世話にも、迷惑もかけないと豪語していたが、姉弟たちは、無理に決まっていると思っていた、いや、確信していた。
実際、、、絵空事だった。
アタシは、主人の手伝いの無いときはほぼ一日おきに通い、病院指定の寝巻が無いためにシャワーを浴びる度に大量に出る洗濯物を洗いまくり(洗濯機だけど・笑)乾燥機に掛ける。
手術前は、自分で洗濯くらい出来ると思っていたらしい。
そもそも、術後、点滴や導尿チューブ、ドレーンと呼ぶチューブが腹から二本がビニールのパックに繋がっていた。
体を動かすだけで痛みが走るらしく、そのたびに悲鳴を上げていたが、
術後二日目には看護師は、容赦なく、寝ていてはてけません、起き上がって、椅子に座ってください・・と横になりたがる母に声かけが何度もあるみたい。
『もう勘弁してください』と泣きがはいり、ヘロヘロ状態だった。
自分は年より若い、七十代、下手したら六十代くらいの体力はある・・と
良く行っていたが、完全に年相応なんだなぁと見ていて思ったよ。


時同じにして、八十ですい臓がんになった知人のお母様が亡くなった

癌とわかった時にはもう中期だったが、手術は行わず、余命二年と宣告され、
その通りの経過をたどり、亡くなった。

母も、手術をしなければ余命は二年と宣告されていた。
母は初期という事とまだ死にたくないと手術に臨んだが、
そもそもがんを取り除けば、元通りの生活が出来ると思い込んでいた節がある。
手術が出来ると浮かれていて、主治医の術後の説明をまともに聞いていなかったのだ。

かなりの広範囲であちこちを切除し、臓器の組み換えのようなことするのだから、
もう普通の体というか、内臓ではないのだ。
医師は、これから先は今までの七割程度で生活していくことになるでしょうと。

母は術後、色々と前はこうだったとか、前とは違う気がする・・だんだんもとに戻りますよねと先生に話していたが、、
まともに説明を聞いていなかった母に医師はきっぱりと・・
『手術前にお話ししましたが、手術前と比較してはいけません。もう手術前の体とは違うんです』と・・。

弟からもアタシからも、それは何度も話したが、まだ現実が理解できない様子だ。
母の頭の中は癌さえ取れば、それでおしまい。万歳万歳〜みたいな感じ。
元通りにはならないという事が理解できないみたいだった。

ともかく、術後一か月半過ぎた。
母もようやく主治医の七割程度の体調というのが、わかって来たみたい。

五月六月と、、兄弟たちはホント余裕ない感じだったね。
毎日見舞った弟も弟のお嫁さんもよくやってくれた。
みんな頑張ったね。
お疲れです。

はぁ〜しばらくアタシも養生しますわ。( 一一)

母を見て、、。
アタシは高齢になったら、大手術はしない。
知人のお母様のように、、寿命と思い受け入れて行くよ。