痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

ドえらい展開と非情な末路。

八十四の母と同年齢もしくは、年の近しい有名人やら俳優・女優が
相次いでこの世を去っている。
そんなニュースを病室のテレビで眺めていた母は一言つぶやく。

『寿命が近いのに、(自分は)何でこんなことをしたんだろう』


手術前検査や手術を含めて、すでに四度目の入院。

初めの三回の入院は、早く退位して自宅で好きなものを食べて気ままにしていたい。
と自宅に戻って暮らすことを強く切望していた。

とはいえ、三度目の退院以降、自分の思いとは裏腹に体の不調を訴えつつ、子供たちが訪問したりで買い物や身の回りの事を片づけ、何とか一人で暮らしてはいたが、不調は戻らず、四度目の入院の運びとなった。
更に今回の診断で、医師からは一人暮らしはもうできないと告げられた。

実は、先月の診察で手術で摘出した数十個の細胞を検査に出し、その結果が伝えられていた。
その中の七つの細胞から『ステージⅢ』のがんが見つかりました‥と。
簡単に言えば、母は初期ガンではなかったということだ。
ただ、細胞レベルなので、外からはわからず、手術で組織をとって、初めて判明という感じだ。
ともかく、八十過ぎた高齢の手術で、術後はまた今まで通りに生活ができると思い込んだ母は(勝手に自分の都合の良い事しか聞いていない、術後の不調、体重減等は耳をふさいでいた?)はっきりとは口に出さないが、手術をしたことをかなり後悔している様子。
ホント、アタシ達は『後の祭り』とか『後悔先に立たず』のリアル体現を目の当たりにしている。
手術前から十キロ近く体重も減った。
ヨボヨボの皺皺。
そのうえ、今回の入院中に受けた様々な検査で、転移の疑いあり・・と
担当医師から本人と家族に対し検査結果の報告を受けた。
母、相当びっくりしていた。
体の不調や腹痛が、転移からくるものかもしれないという話にになっていた。
現在は、体重減からくる不調と痛みに対しての対応いうことでの入院だが、体重増と体調の安定が図れれば、すぐに抗がん剤治療に入るという話に。
髪が抜け落ち、強い吐き気のあるようなものは使用せず、年齢を考え一番弱い薬らしい。
そうなってくると手術しない場合の時と同じ対応になる。
あんなに辛くて苦しい手術したことがまるで意味をなしていない。

母の強い意志で、誰も反対してくれるなっ、自分の責任で手術し、もっと長生きしたいと受けた手術。
現実は、母の意に反して自身を極限近くまで強烈に弱めてしまっている。
自立した独居老人としてボケるまでは一人で気ままに自由に誰の迷惑にもならず生きていく。
それが母の理想だったが、それも泡と消えた。
現実は、自身で安易に、そして強硬に決めてしまった手術から、
もう誰かの手を借りなければ、生活すらできない状況に、自分から選択して貶めてしまった感じだ。

手術をする当時はとにかく元気で達者、周りに若い若いと持ち上げられて、いい気になっていたのは誰が見ても明らか。
ゆえに、自分の体に自信満々で、高齢でも手術して大丈夫と言われていたが、実際は、若いどころか年相応でしかなかった。

もし、手術せず、通いで抗がん剤治療をしていたら、今の母の状態は無かったろう。
二年の余命のうち、今は普通に実家で悠々自適に暮らしていたに違いない。

弟のお嫁さんは、自身の父親の経験上・・高齢者が安易に手術に手を出すものじゃないと手術には陰で反対していた。
しかし、当時の母の勢いを誰に止めることも出来なかったろう。
まして手術を留めたら、今も恨みつらみを言い重ねるだろう。
手術しなかったから・・こんなことになっている・・と。
そうならないためにも、アタシ達は母のやりたいようにした。
母も結果がどうでも文句は言わないから・・と言っていたように記憶しているが、母の思い通りにした結果がこれなのだ。

見舞いに行くが、しょぼくれた今の母の顔には後悔の二文字が張り付いている。
自分がやりたいと強く主張した結果と現実に、母はそれを口に出せない状態だ。

妹が母のいないところで静かに言った。
どう見てもあと二年が限界かも。
手術しない時と変わらないよ。
苦しい手術せずに、当初から抗がん剤を使用をしていたら、今の母の状態は無かったろうし、まだ普通に暮らせていたに違いない。
それに当初は見えなかった転移の芽も抗がん剤で叩けたかもしれないのに・・と。

手術は無意味だったかもしれない現実と、余命・・。

母の選択はすべて裏目

寿命には抗う事は出来ないという非情な結果だ。