痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

連休前半実家の片付け。

連休初日、妹と姪が我が家に泊まりに来て来て、にぎやかに過ごす。
翌日、姪はお付き合いしている人とおデート(古い言い回し?)で横浜方面へ
出掛けて行った。
アタシと妹は実家へ向かい、弟と合流して、実家の片付けを行った。
義祖母の亡くなった時、家の中はどの部屋もどの部屋も荷物で溢れかえり、
騒然としたが、それを教訓にしたのか、以来、母はかなりのものを整理していたので、どの部屋もすっきりと片付いてはいたが、
納戸や押し入れ、何個もある整理ダンス等々、、やはり片付けで出してみると
一人暮らしでも、何十年と住み続けた家にはそれなりにズッシリと
色々なものが溜め込まれていた。

納戸には大量の未開封の紙おむつ・・
亡くなる数か月は病院で過ごしていたが、その少し前段階、
すい臓がんの手術後には退院後は気楽に一人で暮らしたいという本人の
強い希望だったが・・・
実際、もう一人暮らしをしていた時のように自由気ままに暮らすことなど
体も生活面でも一人ではムリだと気付くまでの間・・・
便秘したり、ゲリになったり・・と、色々と大変だった様子。
トイレに間に合わないで下着を汚してしまう事に恐怖すら感じていたようで、大量のおむつ購入となっていたようだ。

台所からリビング、洗面所に風呂場を集中的に、引き出しはすべて空にする。
使い古しの調味料、洗剤等はまとめておく。
必要と感じた電化製品は各自が引き取る。
(結局パソコンとプリンタのみ)
三日間でなんとかまとめたが和室や寝室、納戸まではできなかった。

やる気を削ぐのは、蒲団と大量の毛布・・
粗大ごみのそれも有料部類が猛然と出て来る。
そしてこれまた大量の衣類。
すべてゴミだろう・・

母のモノは何一ついらない・・
形見なんて何一ついらない。

アタシの記憶の中で、鮮明に消えることなく残されたホントに嫌だったこと悲しかったことの数々が敢えて言うなら母の形見だ。

アタシの心の傷が深いのは妹もわかるという。
なぜなら、妹は、母の事は好きではなかったけど、
アタシほど、母の持ち物を貰う事、使う事に嫌悪感が無いと言うからだ。

使えるものは使わせてもらうと、、色々と持ち帰っている。

貴金属類をすべて集めて、欲しいモノは持ち帰ってもらったけど、
残りを一まとめにして貴金属の買取りへ持ち込んだ。
全部で二十八万円弱に換金。
兄弟で三等分に分けて一人当たり九万円となる。
いつもお世話になっている動物保護団体さんに少しずつ還元しようと考えている。
結局、自分は残らないモノを・・・と考えてしまう。

三分の一は片付いたと思うが、残りは、手間のかかりそうなものや
精神的に重いものが多い、、
その昔、祖父は養子なので、養父関係の写真やら、、もろもろ一式が
屋根裏の納戸にある。
特にこの屋根裏にあるものは、、あまり手を出せないものがひしめいている・・

もう何も残さず、無に帰すなら、このままどんどん捨て去ればいい。

しかし、そこには複雑な思いが相まって・・・
本当に捨てていいものか・・思案である。


ともかく、連休後半は、少し体を養生。

話し合いで、実家自体は妹へアタシと弟の持ち分を譲渡し、
すべて貸家としてリフォームし、妹が管理することになった。

色んな事が少しずつ動き出し、
母が生きていた時の事、暮らしていた場所、、、
否応なしにどんどん過去へと流されていく。

そして、アタシ自身も・・・
老いの域に足を突っ込んでいく・・
正直、こんなにあちこち痛かったら、、母の年までは生きられない。

そして、シミジミと思うのは・・
たとえどんなものであっても・・どんなに大事な物であっても、
何一つ・・この世のモノはあの世へ持っていかれません。

そして、本人には大切な物で価値あるモノと思っても、
片づける他人から見れば何の価値もない、
何の必要ないモノ→→あっさりゴミ袋行き


そういう事。


片付かない自分の持ち物も、
一歩引いて、他人だったら、これを捨てる捨てない・・の判断はつくだろう。

なんとにく、これからの片付けのヒントを実感。