痩せたいけど✖痩せられない

痩せたいと念じつつ、幾年月。既にどうでも良くなってる昨今ね・笑

緩和ケアへGO。

順番待ち二人という緩和ケアのある病院へ面接に行き、病院内の判定会議から正式に順番待ちのメンバーに入った。
二人待ちで平均一か月待ちと聞いた。
母も大学病院から出て緩和ケア専門病院への転院を強く望んでいた。

病院内の患者支援センターの最大限の尽力に感謝するばかりだ。
僅か一日で緩和ケアの病院への必要書類や添付DVDなどの制作してくれて
面接がすんなりと行くように準備してくれた。

二か所目の緩和ケア病院の面接日が迫っていたが、一か所目の病院から転院可能の連絡が入った。
二人待ちだったが、、入院患者さんが相次いでお亡くなりって、いきなり順番が来た。
そういうシビアな側面をを持った病棟だ。

病院から病院への転院は介護タクシーを利用。
介護タクシーは初めて使ったが、タクシーの運転手のお兄さんはとても優しい方だった。
車酔いと癌の症状が混ざってか・・嘔吐する母を嫌がりもせずに対応してくれて感謝するばかりだ。
大型車だから揺れもほとんどになく、車酔いではなく、、多分癌からくる嘔吐なんだろう。

無事に転院し、やはり普通の病棟ではないのははっきりわかる。
これからは普通の病棟ではないので、格段に末期がん患者には良い環境で
過ごすことが出来そう。


転院の際、母はあいさつに顔を出した主治医に・・
『こんなことになるとは思わなかった・・』と毒を吐いた。
お世話になった、とかありがとうございましたとか、、
その手の言葉は一切口にしなかった。
初期と聞いて喜んで手術した母が僅か三か月で末期がんでほぼ寝たきりの状態になったことへの・・恨み言と言うか、呪いというか・・

医者というものは、患者の感情一つで良い医者、悪い医者と区分けされてしまう。

無論、アタシ達は、手を尽くしてくれた先生にお礼と感謝を伝えた。

母の癌は、寿命以外の何物でもない。
もっと生きたいと欲張った結果が、辛い手術、その後の予後の悪さ、
結局手術をしなくても、大体同じくらいの経過であったろうと診断された。

母は自分で選んだことはすべてハズレだったと、今回の手術から今までをベッドの上で吐きだした。

それでは、今度はアタシ達子供が選んだ緩和ケアの病院で過ごすことに。
今度は、スカンタコのハズレではなく、アタリだと思ってますわよ。