さよなら地井サン。
昨年、三週間ほど入院してからもっぱら朝はラジオ派となっていたけど、
何故か『ちい散歩』は見ていたねぇ・・。
番組最後で、一日のまとめ的にちいさんが絵を描くのが好きだった。
あるときは店先で、喫茶店の中で、公園の東屋など・・
どのくらいの時間で描き上げるのかは不明だが、実に味のある絵だった。
そうそう、うちの近所も散歩に来てくれていたねぇ。
立ち寄ったパン屋は『ちいさんの来た店』という大きな看板を書いて、
道路に向かって貼りだしてて・・格好の宣伝になっている。
実家のある商店街の方も散歩してくれて、何か妙に懐かしかったが・・。
二月、しばらくの休養とのことだったが、
五月には長期療養なる旨、番組の終了が発表された。
直前までの映像では、具合が悪いようには見えなかったが・・
あっけない幕切れという感じだ。
誰に対しても一礼するときは、必ず帽子を取って頭を下げていた。
礼儀を大切にする散歩の姿勢が好きだった。合掌。
最近、昭和のテレビ時代を華々しく活躍した著名人の訃報が続く。
人は、その人が亡くなってから
『もう会えないと思うと寂しい』とよく口にする。
現実に、人生も半分以上過ぎてくると、知り合いの中にも亡くなったという
便りを耳にする。
学生時代・・
前の席に座っていたKさんは、大人びた雰囲気で近寄りがたい感じだったが、
話すとオシャレの話や芸能人の話とか・・楽しいだった。
十年位前に友人から、三十代で乳がんで急逝したと聞いて驚いた。
部活の人間関係に嫌気がさしていた高校三年の六月にあっさり退部。
あと少しでまっとうに引退だった時期にだったので、
同じ部のT君は『もう少し頑張れば引退なのに根性ないなぁ』と
やめないほうがいいとやんわりと言ってくれたが・・
そんな彼も四十代で内臓疾患で亡くなったと聞いた。
教師達から互いに間違えられる程、私と背格好や雰囲気が似ていると
いわれていたEさんは、くも膜下で娘さんの成人式の直前に急逝した。
息子の友人のお母さん。心優しい、誰隔てなく世話好きの人だったが、
白血病であっという間に亡くなってしまった。
正直、どの人とも・・亡くなってしまってから、
もう一度会って話がしたかったなぁと・・無い物ねだりの様に悔やまれる。
学生時代の級友なんて、積極的に会うというのはなんかもう無理だ。
せいぜい同窓会などでしかないだろう。
若い頃はソレすら・・何か避けてて欠席に丸をつけて出していた。
年を取ると、それすら悔やまれるねぇ。
やはり会いたいと思った人には、会うべきだと感じる昨今。
相手もそうだけど、自分自身も・・イキナリ死んじまうかも知れないからね。
若い頃はそんなこと考えた事もない。
アタシも年を取ったって事だろうね。苦笑